みなさん、こんばんは!
いつも動いていないと死んでしまうマグロのような漢・SHOWです!
起業家として生きる。チャレンジャーとして突き進む。燃え尽きるまで走る。
はい、本日は事業を立ち上げたり、会社経営について個人的見解を書き記します。
僕の場合はもともと『起業』というモノはあまり特別な事とは考えていないタイプです。
というのも、父親も24歳の時に会社を立ち上げていたり、祖父も個人事業で縫製業をやっていたり、親戚も自らビジネスやっていたりと、
基本的にサラリーマンがいない環境に育ったのもあり、忙しそうだけど自由度が高く、自らの人生を自ら方向決めて突き進んでいるという『生き方』こそが
自主と自立という事だろうと考えていたから。
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なので、いずれは自らも事業や会社を立ち上げて、特に大きいビジネスにならずとも細く長く、仕事漬けにならない程度にプライベートは家族で楽しくというのを中学生ぐらいの時からボヤーッとイメージしていた。
2000年4月〜2003年3月が中学生だったという事もあり、世の中は97年の山一証券の破綻や就職氷河期など、なかなか暗い不況のイメージがあったけども、なんだかんだ世の中はまだまだテレビやメディアが作り出すイメージの植え付けで明るい話題もあったりしていたので、自分としては基本的に面白おかしくやりたい事をやるスタンスを貫いていた。
当然、中学生といえば、この先の未来において重要な選択肢となる高校受験がある。ここのコースでほぼ将来エリートになるか、凡人になるか、落ちこぼれになるか、まぁ決まるよねと中学生でも予想はつくが、重要なのは自らが将来『何をしたいか、何になりたいか、どんな生き方をしたいか』を考えて選んでいるのかという部分かと思う。
ひねくれた若者。闇の眷属。悪しきオーラで世の中を暗くする。
でも実はその中にトンデモないスペックを持った原石がいる。
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この数年、企業として雇用した若者たち、私と同年齢か、少し年上、年下という同世代の中で、迷いまくってる人が多いと感じざるを得ない状況に何度も遭遇しており、親の敷いたレール=これをやっておけば褒められる。良い結果が待っている。と思い込まされた若者たちの未来が決して明るい方向に行っておらず、だいたい他人のせいにしたくなるタイプや、嫌なことから逃げ出してしまうタイプ、急に音信不通の雲隠れタイプなど、もはや社会人としてゲスの極みだなというのが多く、不適合者たちが多い時代なのだなと実感した。
虚言癖もここまでくると狂言だなと思うのだが、嘘ばかり吠えたり、プライド高くできない事をできると啖呵切った割には、できない時に潔くできないすみません。と言えず、そのまま蒸発など、いろんなタイプの奴がいて良いとは思うが、社会生活の中では迷惑で、なぜこのような事が起きるのかと考えさせられる。
子どもは可能性の塊。大人の方がポンコツ。できる大人=師匠がいない子どもは不幸かもしれない。
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これは一重に親の教育と育った環境の中で、個人や個性を尊重してくれる仲間や知人、恩師がいたかどうかで大きく変わるんじゃないかと。
子どもを育てている今だからこそ、より強く言える確信的な事がある。それは親の業で子どもという天才に枠をつけてはならんという事。
ハッキリ言って親より優秀な可能性がある子どもに対して、決めつけ同然の教育、レール通りに走れなんておこがましい。恥を知れということ。
あくまで人生経験では長く生きた親の方が様々な失敗や成功体験を積んでいるので、失敗をさせないように過保護にし、怪我をさせないように、
余計な手出しをして、徐々に大人がつくる精度の低いレールに乗せようとする。
親と子どもで少なくとも20歳ほどの時代の差があるのだから、よほど親の感度が高くない限りは、親のアドバイスなど20年以上古いアドバイスであり、
タイムリーで的確なアドバイスはできない。
子どもはその場その場で細かく失敗を積み重ねながら修正を繰り返して、良い結果を手繰り寄せていく。
それにより時代に順応して、また次のチャレンジに踏み出してと繰り返して成長するが、子どもの成長を止めるのは親なのだ。
小学校や中学校の頃に自分で考えて、進みたい道を決め、そこから逆算して、障害物を突破する為の方法を考えられる真の意味で現代を生き抜く強さと、
賢さを持った子どもは、柔軟に楽しく生きられるんだなと他人の人生を見ていても色々考えさせられる。
僕の昔からの友人なんかも、今では実家にパラサイト状態で、自立心ゼロ。バイトかニートかどちらかの状態を繰り返し、テレビゲームに勤しむ、今だけを生きる感じの切なさ。親がいなくなった時にコイツはどうなるんだろうとつくづく思う奴が格段に増えている。
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迷いに迷って、完全に迷走し、うまくいかない事で世間を恨み、親兄弟を恨んでいる奴もいる。
経営者として今後、このようなタイプの人間をマネージメントする、叩き直す時間をかけ続け事はリスクでしかない。
ただ、それでもそうやって少しずつ人財にしていき、皆が自ら望むライフスタイルを手に入れ、無理なく維持できる環境を整えねばならないのだが、
響かない奴はいくら言っても響かない。これはもはや心なしの人間。
死んだ顔をしているとはこのようなタイプだから、そこに息を吹き込むのは大変だろう。
自分らしく生きるとは何か。どうやるか。誰の目も気にしない。これが基本。
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そんな自分はというと、基本的には中学生の時に、学級委員をすることになった事(参照)からかなり明確に自分の得意な事やできる事、売り出せる事などが見えてきてそれが自信となり、自主と自立の考えのもと、何事もまずは自らやってみる。できなかったらできる人に聞くか頼むという基本スタンスができあがった。
これが良いか悪いか賛否両論あるところだが、少なくとも物事をやろうと決めた時に、何も始まらない、何も進まないという事はない。
必ず、進める。一歩でも、牛歩でも。自分の経験値も増えるから敢えてやった事のない事を前のめりにやる事を心掛ける。
知らない事は罪である。知っていれば助かる事もある。
一度小さく失敗経験を積んでおけば、大きな失敗の予測ができるようになる。
もちろん、一概には言える事ではないけども、誰かに止められたから止めるぐらいであれば、それはやらない方が良い事だ。自分自身が信じられず、一体誰が自分以上に己を信じるのか。
他人の言う事は聞いておきながらも、それを100%信じるのはリスキーだ。
俺の知人の『親に、良い大学入って、良い会社に勤めれば、最高の人生が送れるぞ』と言われ慣れてる高学歴フリーターやニートって大概、すぐ諦める。
実際、やらない奴ばかり。言い訳の連続。できる方法を考えない思考停止。
ほとんどの人間は他人の事など興味ない。日本人の場合は単に隣の人がうまく行くと面白くないから邪魔したり嫌らがらせをするが、相談事すらあくまで他人事である。
そんな中でも己を信じ、突き進める強さ、そこから先は実戦で覚えるしかない。
と言う事で、続きはまた次回ッ!
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P.S. 行政からブログ削除依頼が来ていたので2016年末に削除した件。
先日、福島県葛尾村役場から当ブログで書いた事を削除・非公開にするように連絡が入っていた2016年11月30日投稿の『地方(田舎)と中央(都会)について vol.3』については、葛尾村役場の行政トップである総括参事 兼 復興推進室長・松本松男氏側の圧力と裏切りにより改めて公開する事にしました。
悪しき慣習は叩き斬る。基本的に真実はいつも一つ。正義やヴィジョンのない公務員に用はない。と言う訳で、朝日新聞社 郡山支社の記者さんにも、2016年10月23日投開票であった『葛尾村長選挙』の裏話をザックリと丁寧にお伝えした。
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ハッキリ言って内容的にはこんな限界集落の小さな首長選挙の裏話など大した事はないのだが、『行政の闇』『限界集落の闇』というのは公開し、無駄に税金を食いつぶし、一業種一企業と言った市場原理競争が起きない調整を施し、その地域で地方交付税をまるでマネーロンダリングのように回遊して消化しているのを許していいのか。という想いや強い意志のもと、真実は真実として記録しておく事とする。
基本、ブログというのは個人が自由に意志を綴る場であり、それを止めようなど現代社会においてもおかしな事。
意見があるなら、真正面から堂々と。裏でコソコソ悪口言ってる奴。
聞こえてないよ。その時間意味なし。その存在意味なし。表に出てハッキリと言おう。