面白きない人間を面白く。挫折した人間をリサイクル。捨てる者と拾う者。

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若者が壊れてないから今の日本は元気がない。飲まない。乗らない。ヤらない。さて、これは価値観の押しつけでは?

 

要はこの世代って『真のイノベイター』みたいなもので、
様々なツールを介して他人との相互理解が本能的に何も思考せずにできてしまう。
ムダな誤解や争いを生む前に、合理的かつ的確な判断と実行ができて、
さらにはAIやロボット、異人種、他の生命体とも共存ができてしまう。

 

多様である事が当たり前になっていれば、個人が他人と環境や能力をいちいち比べて悲観する事すらない。

 

みんな同じという価値観が、同じでない者を排除したり、
違う者を理解しなくても良いという結果を許し、失敗を恐れ、
成功してること、ものに媚びるだけの何の価値も創り出さないのに
評論家を気取るオールドタイプを生み出してしまう。

 

カネがあると、すぐに車と時計と別荘を買ってしまう感覚の世代とはまるで考え方が違うし、
カネに対する考え方、接し方、人生における優先順位もまるで違う。
同じ国の人間ではあっても別の人種だと考えて良い。

 

SF世界で良くある上位次元から来たる人の形を模した神であると思うんだけどね。

 

なので、頭でっかちで一々、人と違う事をやってる人間に対して、
ネガティブな発言をしたり、足を引っ張る事に時間を使う
誰の為にもならない存在である者から、必然的にいずれ粛正される世の中に作り変えられる。と思う次第。

 






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世代間を超えて交流する事は本来刺激的でエキサイトできる事だ。否定ではなく異種を受け入れよう。

 

若者と高齢者は全然共存でき、相互に能力を補完し合えるはずが、
年の功という日本的な奢りが過ぎるルールが常態化する事で、
その補完関係を簡単に成し得ない状況にされているのではないかと。

 

若者の目指す世界観を応援して力を貸すダンディ素敵な本当にオトナな高齢者も事実いる中で、
足を引っ張り自身の保身を真っ先に考え不毛な行動をするただ齢だけ重ねてしまったんであろうお子様高齢者も多く、
それが若者が、高齢者は『人間対人間の来るべき対話』ができない異次元の産物と思われてしまう所以であろう。

 

人生哲学における大事なものは何か。

 

それは仕事や恋愛、人間を知る事であると思う。己を知らず、
他を知らず、カルピスを薄めたような安い人生にどれほどの価値があろうか。

 

過去を悔やむより、未来を悲観するより、今を本気で楽しんで生きて、
明日死ぬぐらいのつもりで毎晩眠りにつく充実感がある事が幸福であるとは感じている。

 

他人の立ち居振る舞いが気になって仕方ない暇人は多いが、本来他人の評価など気にする必要もない。
教師からの評価、上司からの評価は相対的に見て比べているだけだ。

 

己の評価は毎晩己ですればそれ以上の評価はない。

 

甘く評価するのも厳しく評価をするのも自分次第であり、その結果がどうであろうと己が認めざるを得ない。

 

己を認めない他を否定する必要もなくなるし、結果が悪くとも良くとも全てのフィードバックは己に返ってくるのだから、
面白い事この上ない世界だ。重要なのは誰の人生を生きるかであり、
他人に感情を揺り動かされてムダな感情挙動をさせる事に、
時間とエネルギーを使う事は不要であるという真実を認識しておく事だろう。

 

ほとんどの人間は未完成で未熟な失敗作のようなものだ。
どんぐりの背比べに過ぎない。

 

身長1mの人間もいれば、2mの人間もいる。
どっちが普通で、どっちが以上かなんてわからない。

 

中間の1m50cmの人間が丁度良いとも言い切れないのが、
この世界であるのでもしかしたら義手や義足などあらゆるアタッチメントに換装できる
システムを持った人間の方が実は、未来人であり、
人類の進化に必要な大事な要素を多分に持っているかもしれないなど、
イマジネーション次第で無限に面白い世界は望める。

 

オリジナルのパラメーター設定でアバターをつくるかのように人生を設計すれば精神的に余裕もできるはずだ。






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