みなさん、こんばんは。
3月に突入ですね!もう既に6日ですが。
という訳で三寒四温な陽気で春っぽい暖かな日も感じられるようになってきた福島県をエンジョイしている『田舎と喪服とワタシ』なSHOWです!
さて、早速ですが先日、我が嫁様の祖母が他界しました。
91歳という事で大往生。家族に看取られ、地域の人々にも囲まれ旅立って行きました。
僕の場合、両親の祖父母ともに全員健在の為、未だに身近な人の『死』というものへの経験が少なく、同時に『葬式』体験も少ないのでとても新鮮な機会です。
普段、あまり『死』について考える事はないのですが、やはり人は必ず死にます。
いつ死ぬか、それが早いか遅いかだけです。
また、突然明日が来ないという事もあるでしょう。
そう、時期的には丸6年を迎える東日本大震災の3.11が近づいてますね。
毎年思うのは、今日死ぬと思ってなかった人々が突然の自然災害で急に命を失うという部分で、
好きな言葉に『今日生きているあなたの時間は、昨日死んだ人の生きたかった明日です。』があり、
これはとても深く意義のある、考えさせられる、気づかされるコトバです。
何がヤバいかと言うと、皆いつまでものんべんだらりと生き長らえられると思い込んで、日々時間を浪費している事。
将来が不安で自殺する人もいるでしょうし、何十年も先の事で頭を悩まし何も動けずにいる人もいる。
考え過ぎる人が多いのです。
それは日本に住んでいるから。平和だからですね。
隣の人が急に首を吹っ飛ばされる。など戦場にいたら今を生きる事に集中、注力するのですが、
いつまでも明日がくると言う考えがあるからこそ、何にもチャレンジせず、悪い状況を打開する為の行動もできず、ただ時間が過ぎるのを待つと言うヌルい環境になってしまう。
一体、何の為に生きているのでしょうか。
ただ、週末の休みを求めて働いている、目の死んだ若者。
いくら考えても、人間に永遠はないのです。
そして、どんな失敗をしても日本では飢え死にする事はほぼない。
食料は棄てる程に溢れているが、社会システムが悪いばかりに届かない、満足に空腹を満たされない人はいるのでしょうが。
そんな環境の中で、誰かの目を気にし、何もしない事が素晴らしいと思って、声を出さず、考えも伝えずに何が変わると言うのか。
人生は長いようで短い。
でもこの考えは、暇を持て余してどうしようもない人には全く感じられないでしょう。
何をしていいかわからない。迷える子羊的な人はオトナでも多い。
自分が何をしたいか。何者になりたいか。全く目標や目的もなくただ息を吸って吐いてるだけの者はなぜそうなってしまったのか。
チャレンジャーややりたい事が山程ある人間からしたら、そのような暇を持て余す人間から『時間』をもらいたいぐらいですね。
むしろ、可能であるなら『自殺』する人間の命をもらいたいぐらいですね。
何かそうゆう魔法ないんですかねといつも思いますよね、棄てる命ならどうにか回収して与えたり、分配する事が出来ればいいのにと。
どんな命も結局は1つです。1回死んだら終わりです。
金を持っていようといまいと、頑丈な身体があろうとなかろうと、1回死んだら終わりです。
なら、危険な事はしないようにコソコソと静かに生きますか。
それとも1度きりの人生だと、やりたい事に夢中になって楽しく、多少の苦労はあっても、それを生き甲斐ややり甲斐として目標に突き進んで充実しますか。
大事に時間を使っていてもいずれは終わります。
大事に時間を使っていたのに、急に奪われる事もあります。
それならば、将来の年金がいくらもらえるかなんてクダらない事や宇宙規模で見たら小さな悩みなどで時間を使わずに、己の可能性を広げたり、知見を深めよりエンジョイライフを送れるように仕掛けた方がおトクだし、生きてる感は味わえますよ。
死んだ時にどう在りたいか。
どうゆう死に様にしたいか。
誰にどうゆう風に思われて死んだ後に関わって欲しいか。
死生観というか、『メメントモリ 死を想え』とよく言いますが正にそこが生きる意味ではないかと感じました。
本気で生きてみると面白い。
20歳代なんて特に失うモノは何もない。
人脈もカネもモノも大して持っていない。それを失って、もう生きていけないのかと言えばそんな事はない。
どんなに人脈があってもカネやモノを持っていても、あの世には持っていけない。
人は死ぬ。そんな中で新しく生まれる命もある。この循環を考えた時に、大人がしなくちゃならないのは、
新しく生まれてくる命に残せる世界を用意しておく事。
近年、出会う良い年のオトナたちはあまりその意識がない。
カネもモノも全て自分たちの代で使い切ろうとするその魂胆。万死に値する。
そのような害にしかならないタイプは世界や未来に還元するという気がない、消費・浪費志向の人間なので、
未来を滅ぼす犯罪者と同じであると考える。
日本という国はとても平和で、豊かで、自由にモノが言えて、若者はとりあえず安い物を買って楽しくくらせちゃうので、文句も言わずに飼いならされているが、いつまで続くのか心配するヤツは少ないだろうし、そんな課題を解決しようと行動を起こす者はさらに少ない。
葬儀屋さんや納棺師という仕事の素晴らしさというか、遺族からすると何から手をつけて良いかわからない事、悲しんでいる余裕もないぐらいにバタバタする時に支援できる存在は凄いなと改めて思う。
そう考えると、なんちゃって会計士とか税理士、行政書士や弁護士、中小企業診断士とかってマジで資格だけで価値がないなぁと感じる。
いつかは企業の社長とかはよく借金で首が回らなくなって自殺とかばかりの時代もあったのかもしれないが、そういうの助けられる職業だよね、士業って。
特に永久戦犯に近いと思うのは中小企業診断士とか言う、何の力にもならない自己満足肩書き。
リスクを取る起業家や経営者に対してマニュアル的な事しか言えないのであれば、その辺の企業団体職員と変わらないだろと。
そもそも、起業した試しもない、実体験を持たない、本読んで勉強したみたいな人が実戦でリスク取ってる経営者に助言ってどれほどできるの?
元・金融機関出身系とかってポンと資金調達できる力とコネクションを持ってるならまだいいだろうが、ただの一兵士だった情熱も何もないヤツに出会うと最悪ですよね。
弁護士や行政書士も仕事欲しさに起業家や経営者に近寄ってくるけど、まずどんな困り事に応えてくれるの?と言う部分が欠如し、肩書きばかりを見せつけてくる。
いやいや、最近はWEBサービスも充実していて、人間よりシステムの方が早くて優秀だったりするからね、金額の問題よりも能力の問題で負けてしまうので、それ以外の人間であるからこそ押し出すべき部分を売ってこない。
実に悲しいね、素晴らしい勉強能力もあるのに、国家の決めたルールに基づいてしか動けず、結果として誰一人助ける事も出来ない有資格者たち。
以外に世の中は無資格者たちによって価値を提供されていて、その価値によって助けられている人の方が多い。
と言う事で、死について、また生きる事や働く事について書いてきたけども、専門職の人は本当に困ってたり、支援する事で世界をよくしてくれる人を助けるべきだよね。
未熟な事はいい事。若いならばそれが普通。そこで実戦で学べば良い。どんな事があっても自ら死ぬ事はない。
どうせだったら命を奪いにくるぐらいのヒットマンがくるぐらいに大暴れするぐらいが丁度良い。
己の命をどう使うかは自分で決めろ。
他人の命など正直興味ない人は多いが、人の命を分配や譲ってもらう事ができるとあれば、目をキラキラ輝かせてくる人は多そうだよね。
若さと永遠の命が欲しいのはピッコロ大魔王だけではない。
今を生きる人間も強欲な輩が多い。
足るを知るというのが重要。
若い人間にチャンスを与え、成長を促す大人になりたいね。若い人間から搾取、貪り、世の中をトータル的に疲弊させるゲスにならないように、特に30歳以上の大人たちに伝えたい。
そんな感じでまた次回ッ!