不良生徒と呼ばれる人間はなぜ対してうまくもなかろうタバコと酒を無理してやるのか、
そこに理解してみようという意識ができなければ問題は解決できない。
悪そうな方がカッコイイというファッショナブルな目的がある。
誰も見ていなかったら、見る人が存在しなかったら、一人で悪そうに振る舞う奴はいないという事。
暴走族がなぜ爆音でバイクで滑走するのか、あれは寂しさの表れなのだ。
世間、社会に自分の存在を見て欲しいという純粋な心の表現だ。
こう考えるととても可愛い、分かりやすいのだ。
怖そうに見えて実はとても素直で、良い奴が多い。
仲間意識も強く、大事にする。
年取ってから親を大事にしたり親孝行で償おうとするのもそのタイプの典型例だ。
なのでただ単に表現方法が違うだけで、今生きてる事を認めて欲しいという事を察する必要があるだけだ。
僕は基本的に真面目ではないが、合理的かつ無駄を嫌うクリーンなタイプなので意味のない事はやらない。
もっと効率的な方法や、最小の労力で相手に最大のダメージを与えるやり方はないかしか考えないのである。
話を戻し、学級委員なのに悪い事をする?
イヤイヤ、それはあくまで僕という一人の個人、個性を捨ててまでその役を全うする気は無いですよ。
僕は生贄では無い、そんなカンタンな事も理解できない大人が型にハメたがるのは、生徒を管理しやすくする為に他ならなかった。
要は大人であり、教師という存在が自らの力量が足りずに、クラスという組織を統率できない事を学級委員に肩代わりさせようと小間使いにしたいだけなのだ。
実にくだらない社会だろう、義務教育の中で金太郎飴をそんなに増やしたいのか。
本当に生徒会をまとめる、クラスをまとめるというのは、人間味がなければダメなのだ。
無個性なお利口さん、勉強ができるだけのタイプが学級委員などを半ば押し付けられる形でやる場合、間違いなく学級委員としての統率力は無い。
ただ単に、面倒臭そうで誰もやりたがらない仕事をガリ勉くんに押し付けられただけで、
本当の意味で推薦している訳では無いので、
誰もついていかないし、まとまらない。
リーダー論として教師の言いなりになる小間使いに生徒は反発するだけで、
下手すればクラスメイトとただの敵対関係になる。
その他大勢をまとめて、動かす時、それはその能力があり、
度胸と自信がある者でない限りはやり抜く事は不可能だ。
社長だろうが区長だろうが、知事だろうが、大臣だろうが、あくまで役割に過ぎない。
偉いとか上ではない。そのポジションを、自らの時間を犠牲にしてやってくれているのである。
普通に考えれば日本でそのポジションを狙う事は人生においてリスクしかない。
その事をご存知だろうか。常に国民というヒットマンに狙い撃ちされるかもしれない日々だ。
まぁ、死ぬぐらいの事は覚悟の上でやっているだろうが、一般ピープルに死ぬ覚悟で人前に立つ勇気もやる気もあるまい。
金太郎飴戦士を要請学校である義務教育は個性豊かな子どもをつまらない人間にして多くの可能性を奪うだけ。
また、可能性という言葉で子どもに期待しすぎてプレッシャーを与える親もいるが、
自らの夢を子どもに押しつけるとかナンセンスだ。生まれ変わってから来世でやれや。
今世でやれなかったら諦めるが良い。という話。
いちいち、社長は偉いとか、総理大臣は偉いとか勝手に自らを下に見ているから妬み、引きづり降ろそうと言うくだらない感情が芽生える。
他人は他人、自分は自分。違う価値観を持ち、違う役目を与えられて今のポジションで頑張っていれば、周りを気にしている余裕などはないはず。
よく『英雄、色を好む』と言うが、これはまさにそうだろうと言うのが僕の考えだ。
仕事中に女性とイチャついてる訳でもなく、仕事の後に女性と遊んでいるのならば良いのでは?
何をするにもエネルギーは必要であり、仕事で力を発揮すれば補給は必要。
補給の仕方は人それぞれだが、男性からすれば異性である女性と関わるのが手っ取り早くエネルギーチャージできるので本能的に女性を選ぶ。
この考えがわからない人は、おそらく女性に多いだろう。
男性で共感しない人はたぶん、モテない男性であり、仕事のできないか、本気で力を発揮していない人だろう。
仕事ができたり、オーラのある人は男性であろうと女性であろうと異性にモテる。
モテると言うのはセクシーさがあったり、頼り甲斐があったり、雰囲気で信頼できる要素がある事だ。
自信があるからさらにモテてしまうという正のループが起こる。
僻み根性丸出しのタイプでモテてる人間を僕は見た事がない。
たとえ存在したとしても、そうなりたいとは1mmも思わない。