要は死に方ぐらい選ばせてやれという話で『急遽人生が終わりました』という選択肢も終わる事も告げられていない残酷さに、
これら犯罪者があまりにも身勝手で、司法ではもはや裁ききれない領域で暴れているので、同じ世界を生きる人間として近寄ってはならぬ存在だ。
このような犯罪者にも慈悲をだの、情状酌量だの、この事件を起こすにはそれ相応の環境が
影響してという話や宗教的な考え方はあるのかもしれないが、断じて許すべきではない。
敢えて言おう、弱者を狙った殺人者はカスであると!
なぜ、このようなカスどもは強者と徒手空拳で戦おうとしないのか。
まず武装している時点で何なのか。フェアじゃない。
武士道精神も何もない、勝てばよかろうなのだー!という柱の男・カーズ的な犯罪者には
もはや波紋使いでなければ対応できないレベルだ。
最初から有利に事を運ぶべく、同じ舞台で戦わないように奇襲をかけてきている点。
死にたいというヤツが増えている中で、なぜか一人では死なない件についても理解しがたい。
死ぬなら一人で死ねと。
この寂しがり屋が。
無差別殺人はテロと同じ。
誰でも良かったでたまたまそこに居た事で、
選ばれてしまった人は運命という言葉だけで、
死をその瞬間黙って受け入れなければならないのか。
このカスたちサイコパスをこの社会に誕生させてしまった親がいるはずだが、
社会不適合者ならまだ良い。不登校でも良い。ニートでも良い。
ただ、今を懸命に生き、働き、税を納める者たちを傷つけ殺すなという話。
もっと崇高な理由なら理解しなくもない。
社会正義の為に汚職を働く政治家を道連れにした自爆などはまぁ、貧困層あたりが政治批判を超えて逆恨みした際の最終手段として、
その命の最後の輝きとして、他の貧困層の為に『私は先にこの魂を連れて行く!』的に自爆するならまだわかる。
要は人間を殺す事に対してどんな哲学があるのかという話だ。
自身で哲学を持つ者は法律では実質裁けない。
あくまで司法という人間の決めた法律の下、裁判をして体裁上は判決を下して、
罪を償わせる事にはなるが、その哲学を持つ犯罪者は己の信念のもと、
その行動を起こしている故に罪の意識は皆無だ。
ボケっと日々を何も考えずに生きていれば哲学など概念そのものが存在しないだろうが、
知能犯罪者はその行動に、全てに意味を持っている。なんとなくではない。
そして、目的が達成された時点でそんなに自らの命の有無には執着しない。
ある意味でその人間社会では犯罪として扱われたが、
それをやり遂げた事で社会に良い影響が与えられるなど、
世界を正すという正義感、満足感、達成感を求めており、長生きしたいなどとは最初から考えていない。
人生を賭して自らの役目に気づいた、発見した者たちは人生は一瞬でも良いから、自らの役割を果たせば良い。
逆に言えば、その役割を果たす為の時間だけ命があれば良いという逆の思考だった場合、
既に犯罪を起こした後の求刑、禁固刑、死刑などはまるで意味をなさない。