まず『なぜ知事選に出馬したのか』と言うのは愚問である。
それは知事選を経験しておく事は価値があると考えるからだろう。
僕がその行動をする事によって、僕自身にも意味はあるが、社会的にも意味と意義があればと思うからこそやっている。
私利私欲でと言う表面的な話は議論するだけムダで、選挙を個人売名目的で利用すると言う考えすら浅はかで、
それいちいち説明しないとダメっすかね?笑と取るに足らん話題ですから。
でも、実際それが想像できないユーモアのカケラもない、狭い価値観で生きている人が多いので念の為に丁寧に説明しておこうと言うのが、
今回のブログの趣旨であるからして、敢えてテキストに残しておこうじゃないか。
正直、詳しくは選挙期間中にアップしている50本の『10分ひとり語り動画』や、
ライブ配信したものをアップした動画などご覧くだされば暴走ぶりがわかります。
まぁ、それを全部観てたら500分=8時間20分は皆様の貴重な時間を消費させてしまうので、
テキストという速読と読む部分の取捨選択ができる方であれば、そのロスも少なかろうと思い、
ブログとしても残しておく事がSHOWの親切心でございまする。
だから、今後会う人会う人に初歩的な質問をされた場合は、
『ブログ読んでね!(流し目ウインク!)』とする事にしました。
いつでもどこでも読めるように公開してますから、いちいちリアルで会う少ない時間の中で、
説明の為にその時間を失うのはお互いに惜しいじゃないですか。
YouTubeのコメント蘭でも何でもコメント貰えればちゃんと返信しますからね、
そうする事で同じ質問したい方はコメント欄に既に答えが書かれている訳で、お互い効率が良いですね。
選挙が終わって1ヶ月ちょいが経った今、12月上旬ですが佐渡島へ向かうフェリーの上で船上からブログを執筆してます。
あ、流刑じゃないですよ。笑
選挙戦後は年内、ニートになろうと考えていたのでその一環で、ソロリ、ソロリでございます。
この通り、選挙初日から香ばしい感じのディスられ具合で、
毎日寝る前にエゴサーチするのが楽しみでしたね!
IT社長というワードは上手い具合にアンチの神経を逆撫でする意味では効果的だったようで、
ザ・IT社長のいかがわしいイメージを作り上げたホリエモン氏に因んでか、
髙橋だけ『たかえもん』という名前までつけられてる感じで、予想通りの反応にウキウキでした。
そして僕の見た目なのか、話し方なのかわかりませんが、
兎に角『チャラい』というディスりが多かった。笑
IT社長というのが『チャラい』のか。
年齢が若いから『チャラい』のか。
僕の見た目やノリが『チャラい』のか。
そして一番大事なのはそもそも『チャラい』事はダメなのか。
何か問題があるのか。という話。
47都道府県中、チャラい知事がいる県があったらそれはそれで面白いと思うけどね。
SHOWもフクシマもいい波乗ってんね〜♬
ぐらいのイケイケドンドンなノリ大事だよホント。
若さはパワー。
それだけで価値があるのだから。
若いから、チャラいからダメは理由にならない。
もっと別の切り口での批判が欲しかったというのはあるね。
見た目や年齢がチャラいというだけでは、
おやおや?それはただの嫉妬ですか?ってなっちゃう。笑
他に突っつける僕のウィークポイントを探し出せかったようだな。と。
そんなんで選挙終わった後ももちろん気にせず、
既にあちこち行ってますし、仕事もちょいちょいしてますが、
福島県内で動いていてもそんなに僕の事を知って声をかけてくる人はおりません。
すれ違ってもチラ見されるぐらいですし、マンツーマンで会って話しても全く気づかれません。
オーラは皆無ですので、普通に街並みに溶け込んでおります。メルティキッスぐらいな口溶け感。
だから、僕も特段有名人ヅラする事もなく、いつも通り何の気兼ねもなく一般ピーポーとして何処へでも行きます。
なんか選挙選始まった頃に心配されて、選挙終わった後に今まで通りの暮らしができると思うのか?と言われる方も一部いました。
特にアンチではないのですが、おそらく古い田舎や地方では、こんな事して大変な事をしてくれた!と思うオールドタイプもいるのでしょう。
オールドタイプは古い価値観に縛られ行動できなくなり進化を諦めた人間です。
ニュータイプは古き良きものは選びますが、基本的には新しい価値観を前向きにチャンスと捉え、
日々学び血肉として受け入れ、限りなく進化し次の世界を見ようとする人間です。
なので、年齢や性別も関係なく、ただただカテゴライズとしてどちらかな?と。
発言や表情を見ているとすぐにわかりますね、この人はオールドタイプだなとか、
この人はニュータイプだなと。
基本的にこの両者は必ずしも対立関係にはありませんが、オールドタイプはニュータイプを差別的に嫌います。
ニュータイプは全人類がニュータイプになった方が世界はより良く、よりクレイジーに面白くなると確信しているので、
オールドタイプを批判する事はなく、あくまで促す存在として啓発するのみです。
なぜオールドタイプはニュータイプを糾弾したり無視したり危険視するのか考えると、
それは『ニュータイプを認めてしまえば自分の存在、価値観を自ら一度完全否定する事になる』からです。
親に言われた通りに幼少期から勉強漬けの毎日、優等生と呼ばれる事が当たり前で、そこに対して最大のアイデンティティーを感じて、
自信として唯一生きる勇気を持てていたのに、社会に出てみたら、確かに自由で楽しそうなニュータイプたちの言う事は、
理に適って合理的でいて楽しそうで、しかしそれを認めて羨んでしまったら、これまで頑張って親や先生の言う事を聞いて、
貴重な青春タイムを捧げてきたのにそれを自ら壊すなんてとんでもないという話。
人類がニュータイプになる過程での『人身御供(ひとみごくう)』となってしまった若者はたくさんいますね。
僕の友人知人でも同世代で結構居ます。
高学歴だけど社会に出たら何もできずに己の無力さを感じて腐ってしまう人。
生きる意味を見失い、人生楽しめずにただただ時間の経過を恐れている人。
むしろ親や先生の言う事を聞いていなかった人の方が大人になってからは、自分なりの幸せを己の尺度で捉えて掴み、
しっかり子育てや納税といった事をして国民としては、ただの凡人、ささやかな生活をしているかもしれないが、
とても評価されるべき人が多いと実感しています。
地方出身者で一度でも東京など都会で生活した事があって、地方の地元に戻る人は良いのですが、
生まれてから死ぬまでこの地を離れた事がないと言う人は99%オールドタイプです。
議論の質がとても残念になりがちで、僕はこの方々に絡まれるととてもムダな時間を過ごしたなと損した気分になります。
要はオールドタイプは自分の考えを正義として、それをニュータイプや他者に強引に飲ませる、聞かせ、思い通りに動かそうとします。
だから、その考えにノーと言ったり、意義を唱えると面白くない訳です。
もはや正常な議論にもなりません。
一方的に価値観が違うから平行線で分かり合えないと言う結論を出して終了。
もう話し合いはしません。
シャッターガラガラという短絡的なネオ短気が多いのです。
そんな時、ニュータイプたちは『やれやれだぜ。』と時間の経過を待ちます。
まだ人間の精神レベルが追いついてないから、焦っても仕方ないなと。
僕のブログを面白がって読んでくれる方はこのあたり経験して共感される方が多いでしょう。