こんばんは!
もうすっかり夜が冷え込む秋の夜になってきて、
幸せを噛み締めながら城所寝をして現を抜かしていると
『風邪引くからおよしよ!』と嫁様から怒られるSHOWです。
さて、そんな29歳と7ヶ月が経過しようとしている幸せいっぱい夢いっぱいの今があるのも何を隠そう、10年前の2度の死期を超えられたからなのだ。
その第一弾については先日ご紹介した『そばアレルギーで死にそうになってから10年。ボーナスステージの現在。』にて語ったが、今回は第二段として食物による『死期』ではなく『女性トラブル』による刺し殺されるか否かのハートフルな内容だッ!
早速だが、僕は工業高校時代、クラスメイトに親友と呼べた男がいた。
その男を『Y』と呼称しよう。
そのYとは様々な感覚が似通っていた事もあり、意気投合し、
学級を指揮するポジションとして共に様々な企画をしたり、
バイク乗りが少数派の中で、共に夜な夜なバイト終わりにバイクで
毎日のようにツーリングに行ったりと学校内外問わず楽しくやっていた。
そんな中で、ちょくちょくYの家でバイクいじりをする事も多くなって
Yの家族とも交流を持つようになったのが2005年の高校3年生。
僕はバイト終わりにバイクでツーリングで出掛ける利便性と効率を上げるにあたり
Yの家の近所のスーパーマーケットでバイトを始める事にした。
そんな2005年春頃、バイト先でレジ打ちをしているとYの母親がちょいちょい顔を合わせる事があったのだが、その時に一緒に来ていたのがYの妹だった。
この頃は特に親友の可愛い妹君かとしか思っていなかった。
僕にも当時可愛い彼女がいたのでMには何の興味もなかった。
そんな折、高校卒業の数ヶ月前の年末に、親友Yの両親が突如離婚する事になり、
母親と親友、その妹と弟がたまたま僕の実家から近くのところに引っ越してきた。
チャリンコで10分程度のところだ。それまではバイクでも30分弱の距離感があった隣町に住んでいたのだが、何の縁かわからぬが近くなった。
時期は2005年末の冬。バイクを乗るにも手が震える時季だ。
当然、親友の家庭が大変という事もあり、母子家庭のバタバタ感をよく知っている僕はYの母親や妹、弟を含めた家族と交流する事が増え、週の半分は夕食をYの家で過ごすぐらいの関係になっていた。
Yも僕を信用していたからこそ、他の誰にもそのような家庭環境になっている事を言わずに僕にだけ伝え、家族との交流や家の出入りも許していた。
そうやって2006年を迎えると次第にYがいない時間帯でもYの母親や妹のMと交流する事が増えてきた。
そんな中で気になり始めたのがYの妹Mの存在だった。
Yとは2歳違いで当時高校1年生。
普段は人見知り的に全く外では会話をする事なく、
軽く会釈する程度のシャイな女の子だった。
が、Yの家に出入りするようになると途端にMの今まで外で見ていた時とは
違う側面を見る事になり、興味を持ち始めた。
まぁ、よくよく考えれば僕が当時ハマっていた新垣結衣と蛯原友里のような、
化粧次第でどちらにでもなれる綺麗な顔立ちと綺麗なロングヘアーだったのもあり、
親友の妹フィルターで除外していたに過ぎず、本来であればルックスだけで間違いなくナンパする対象だったのだ。
さて、そうなってくるとどうしたものか。
親友Yに黙って隠し事するのも何だし、
そもそも妹Mは中学生時代からつきあっている彼氏がいるという、
まぁ、俺も彼女とつきあっているしで、
今のところはちょっと頼れるお兄さんぐらいの距離感でいておくか。
そうして気になっている妹Mとの関係は特に発展させる事なく、
高校卒業後も2006年春の就職後も親友Yと遊ぶ度に顔を合わせる程度の関係を続ける。
そして2006年10月、コトは次第に動き出す。
就職してから半年程は、土日となると親友Yと車でドライブに行く事が多かったが、
最初の夏を過ぎる頃には次第にそれぞれの仕事の価値観など意見の相違により遊ぶ事が減っていた。
親友Yはもともと大手企業大好き病であり当時の東京電力傘下の企業に内定をもらった時から生涯安定を手にしたという事を言い出し、すでに有頂天ムードで様子がおかしかったのだが、就職してからはより躊躇になり、起業家思考の僕とはまるで意見が合わず、互いの価値観のぶつけ合いになる事が増えてきていた。
そんな中で、久々に妹Mに会ってみたいと思うようになる。
最近会ってないな、どうやって会うか。
そこで仕事で珍しく夜勤があり、その翌日は夜勤明けで平日朝から休みという日程が10月末にあったので、当時高校2年生の妹Mを親友Yの母親経由で通学ドライブに誘ってみた。